東日本大震災が発生してから4年が経ちました。
先ほど、メガネのサイト GLAFAS(グラファス)に、
▼東日本大震災から4年、もしものときのためにメガネやコンタクトレンズを備えよう
という記事をアップしました。
このブログでも、あのときのことを振り返ってみます。
東日本大震災が発生したとき、ひとり自宅で仕事をしていました。
最初の揺れが収まると、三世帯住宅で同居している両親の元へ行き、無事を確認。
そのあと、会社に行っていた妻と連絡を取ろうとしましたが、なかなかつながらず。
あれこれ試した結果、TwitterのDMで連絡を取り合いました。
当時、妻の会社は渋谷近辺。自宅に帰るべく歩き始めました。
「どうするべきか?」と悩んだあげく、ぼくはクルマで妻を迎えに行きました。
最初は比較的順調だったものの、途中から大渋滞。ノロノロ運転を続けながら、笹塚で妻と落ち合いました。
まだ営業を続けていたレストランに入り、しばらく休憩していたとき、妻の同僚が、まだ会社に残っていることを知り、再び悩んだ結果、彼女たちをクルマで迎えに行くことに。
渋滞の中、普段の何倍も時間をかけて、会社付近に到着。
妻が会社に同僚を迎えにいったところ、偶然にも元同僚にバッタリ。
ぼくたち夫婦以外は、ひとり暮らしだったこともあり、みんなでクルマに乗り込み、渋滞が続く中、ぼくの自宅へと向かい、たどり着いたときには、日付が変わっていました。
余震が続き、地震警報が鳴るたびに、みんなで肩を寄せ合うように、テーブルの下へ潜ることを繰り返したことは、きっと忘れることはないでしょう。
※地震の日、クルマを使ったことは、間違いだったのかもしれません。東日本大震災を受けて、警視庁では、「大震災発生時の交通規制」を見直しました。今後、もしものときには、クルマには乗りません。
地震から数日後、韓国人の友だちから連絡がありました。
彼は、ワーキングホリデーで日本に来ていたのですが、韓国にいるご両親から、早く戻ってくるようにと言われ、滞在できる期間を残したまま、帰国することを決めました。
そこで、アパートを引き払ったあと、帰国するまでの数日、ぼくの家に泊めてほしいと頼まれたのです。
ぼくの家で過ごすうちに、余震にも少しずつ慣れてきた頃、彼は無事に帰国しました。
そして、地震から2週間後。以前から予約していたツアーで、妻と一緒に、韓国・ソウルへ向かいました。
「こんなときに、旅行へ行っていいものだろうか?」
と、悩みましたが、ぼくの家に泊まった彼に、韓国で再会できるということもあり、予定通り出発。
すでに大邱(テグ)の実家に帰っていた彼は、わざわざソウルまで来てくれました。
しかも、格安ツアーだったこともあり、ホテルに着いたのは午前2時頃。
そんな時間まで、ホテルの前でひとり、彼は、ぼくと妻の到着を待っていてくれたのです。
明くる日の夜、東大門(トンデムン)の卸売りエリアへ行ったときのこと。
「日本は韓国から一番近い国、私たちは隣人です。」
と、日本語で書かれた横断幕を見て、素直に感動しました。
地震のあと、妻の同僚・元同僚と韓国人の友だちを、自宅に泊めて「あげた」わけですが、今振り返ってみると、「あげた」だなんて、そんなのとんでもないことだと感じています。
「あげた」と言うより、一緒にいて「もらった」のだと。
妻の同僚・元同僚は、今もときどき、ぼくの家に遊びに来てくれて、先週末も、泊まっていきました。
韓国人の友だちも、もう一度ウチに泊まりに来てくれました。妻と韓国に行ったときには、彼の実家に泊めてもらったり、最近では、彼の結婚式にも出席しました。
そんな彼らとは、これからもずっと仲良くし続けていきたいです。
以上ここまで、さくらヒロシでした!